会話の心・技・体

武道、スポーツ、囲碁・将棋やかるたまで、あらゆる競技に心・技・体の3つの要素が大事であるように、会話においてもまた心・技・体が大事です。では、会話における心・技・体とは一体どんなものなのでしょう。このブログではそれを9つの原則にまとめて書いていきます。

「イヤな出来事は、もっとイヤな出来事の防波堤になっている」 故事「塞翁が馬」に出てくる青年は骨折したおかげで徴兵をまぬがれ戦争に行かずに済みました 他の村の若者たちは、みな戦争にとられ、気の毒なことに戦死してしまったのです これ、つまり、「骨折」というイヤな出来事が、「戦死」というもっとイヤな出来事の防波堤になっていたのですね これは故事だけの話ではありません あなたも私も、世の全ての人にとってそうなんです でも、いつも分かるとは限りません 分からないうちに、知らないところで防波堤となっていることが

「イヤな出来事は、もっとイヤな出来事の防波堤になっている」

故事「塞翁が馬」に出てくる青年は骨折したおかげで徴兵をまぬがれ戦争に行かずに済みました
他の村の若者たちは、みな戦争にとられ、気の毒なことに戦死してしまったのです

これ、つまり、「骨折」というイヤな出来事が、「戦死」というもっとイヤな出来事の防波堤になっていたのですね

これは故事だけの話ではありません
あなたも私も、世の全ての人にとってそうなんです
でも、いつも分かるとは限りません
分からないうちに、知らないところで防波堤となっていることがあるからです

あなたが骨折したとします
今の日本に戦争はありません
でも、あなたはその骨折によってもっとイヤな出来事をまぬがれています
そして、そのもっとイヤな出来事はあなたに分かることもありますし、分からないこともあります
分からないと、「骨折して何が良かったというんだ!」と思うことでしょう
でも、何だか分からないけど、分からないその何かからあなたは守られました

私、仕事から帰ろうと思ったら急な来客があって、出るのが遅くなったことがありました
ところが、帰り道、大きな交通事故現場に出くわしたのです
もしかしたら、私がもう少し早くこの場所を通っていたら、事故に巻き込まれていたのかもしれません
いや、違うかもしれません
でも、世の中、万事そうなんです
分からなくても、知らなくても、守られている
何から守られたかは、分からない場合もある
というか、分からないほうが圧倒的に多い

だから私達は、起きた出来事には、いいと思われる出来事にも、悪いと思われる出来事にも、ただ、こちらで勝手に意味づけをせず、全てに感謝して生きていきましょう
それが、いちばんですよ