会話の心・技・体

武道、スポーツ、囲碁・将棋やかるたまで、あらゆる競技に心・技・体の3つの要素が大事であるように、会話においてもまた心・技・体が大事です。では、会話における心・技・体とは一体どんなものなのでしょう。このブログではそれを9つの原則にまとめて書いていきます。

私達は何度も生まれ変わっている 魂の成長の為に 今世も何回目か何万回目かの修行の場 「この人なんなの?」 って思わせる私達の周囲にいるトンデモナイ人って、まだ人間1回目の未熟な魂なのかもしれない だから、自分が、容姿がいけてなくても、頭が悪くても、運動神経無くても、貧しくても、親が毒親でも―― もっと深刻な例を挙げれば、重篤な障害が心身にあっても、紛争地域に生まれても、独裁国家に生まれても、それが自分の魂の為に自分で選んだ場なのだ 生まれた時に生まれる前の事は忘れているから、なぜこのような状況に自分が

私達は何度も生まれ変わっている
魂の成長の為に
今世も何回目か何万回目かの修行の場
「この人なんなの?」
って思わせる私達の周囲にいるトンデモナイ人って、まだ人間1回目の未熟な魂なのかもしれない

だから、自分が、容姿がいけてなくても、頭が悪くても、運動神経無くても、貧しくても、親が毒親でも――
もっと深刻な例を挙げれば、重篤な障害が心身にあっても、紛争地域に生まれても、独裁国家に生まれても、それが自分の魂の為に自分で選んだ場なのだ

生まれた時に生まれる前の事は忘れているから、なぜこのような状況に自分が置かれているのか納得が行かない場合が多い
でもその場に自分を置いたのは自分なのだ
だから、置かれた場所で咲こう
というか、自分が自分を置いたその場で自分で咲こう

親、兄弟、友人、クラスメート、先生、恋人、職場の同僚、上司、配偶者、息子、孫、親戚、近所の人……
周囲の人間は生まれる前から約束し合った魂の友人ソウルメイト
互いが互いの魂を磨き合う為に、お互い近くにいる
嫌な奴は、自分の魂を磨いてくれる砥石なのだ
ガリガリ痛いけど感謝しよう
今日も磨いてもらえた

人生の出来事は思い通りにならない
面白い映画が波乱万丈なのと同じ
山あり谷ありだから面白いのだ
波乱万丈で良かった、良かった
毎日、平和な人生は、安心だけど退屈だ
心配事が無い代わりにつまらない
きっと直ぐ飽きる
私達は波乱万丈の人生を送って魂の修行をするためにわざわざ生まれてきているのだから
中には、安心平凡で退屈極まりない人生を送る事によって魂の修行をしている人もいるから、人生の形は人それぞれ

コントロールできない人生の出来事によって魂は磨かれる
でも、コントロールできる事が1つある
それは、自分の気の持ちようだ
心のあり方だ
物事への意味付けだ

感情はコントロールできない
車をぶつけられたら一瞬
「このやろう!」
と思う
この感情はどうにもならない

が、その後の思考はコントロールできるのだ
出来事と感情はコントロールできなくても、
出来事への意味づけと思考をコントロールしよう

車をぶつけられても
「命があって良かった」
と思うのだ

幸福とは決断だ
自分で自分を幸せだと「決め」、「断じる」のだ
理由なんか要らない
家を出た直後に、エアコンの消し忘れに気付いたら、
「電車に乗る前で良かった」
と思うのだ
エアコンを消し忘れた事実と、
「ちっ、しまった! 戻らなくちゃならない、めんどくさいな」
という感情はコントロールできなくても、
「早めに気づくことが出来た自分は幸運だ」
と出来事にプラスの意味付けをし、
「ちょっと戻ればいいだけの事。電気代を大幅に節約できたぞ」
とプラスに考え直す思考はコントロールできる

人生は内面のコントロール
外界にはコントロール出来ない物事が多い
そもそも他人の言動はコントロール自体できない
しかし、それらを自分がどう受け止めるか、自分自身の内面はコントロールできる
幸福になるには、内面のコントロール、ただそれしかない

出来事も感情もコントロールできないが、意味付けと思考はコントロールできる
多分、意味付けと思考のコントロールに長けた人が「悟った人」なのだ
そうでないと、外界から押し寄せてくる出来事と内からあふれ出てくる感情に、ただただ反応し翻弄される人生となってしまう

どうして、自分がこんなつらい目、悲しい目に合うのか、それは分からない
人によってはとても残酷な言葉だろうが、どんなにつらくても悲しくても生まれる前に自分で決めた人生なのだ
「来世はもうちょっとお手柔らかな人生にしようかな」
と私も思った事がある

周囲の人間、特に家族や恋人、親友には、自分に愛のある言動をとってほしいと願う
それでこその家族であり、恋人であり、親友だ
だが、そうではない例も少なくない
本当にひどい話だが、それもまた自分で選んだ魂の修行
砥石だ
また今日も磨いてもらえた

自分で選んだ魂の修行の場である今回の人生とはいえ、暴力家族や暴言同僚や、暴行恋人の近くに居る必要は無い
それはきっと、そこからいかに脱出するかが今回の人生のミッションなのだ
置かれた場に一生居なくても良い
置かれた場から飛び出すことが「咲く」ことにつながる場合もある

他人の人生との比較には意味が無い
その人はその人の人生で魂の修行をしている
私は私の魂の修行をしよう
魚は泳ぐ修行をするのだ
今世で鳥に憧れ、鳥をうらやみ、鳥をねたむのはよせ

ペンギンにはペンギンの人生がある
鳥だから空を飛ばなければならないというのもまた固定観念
他の鳥と比べて飛ぶ努力をする事は不幸
泳ぐ能力を最大限活かせる人生を送ろう
それが置かれた場所で咲くという事だ