なぜ、せっかく幸せだったことが色褪せてしまうのだろう
人間の欲望にはキリが無い
心身に障害や病気があれば、「五体満足なら」、「健康なら」と思う
五体満足で健康でも、収入が無ければ、「もっとお金があれば」と思う
無収入だった人が年収5百万になったらすごく幸せなはずだ
でも、年収5千万の人と比べた瞬間にその幸せは色褪せる
年収5千万の幸せも、年収5億と比べた瞬間に色褪せ、
年収5億の幸せも、年収5十億と比べた瞬間に色褪せ、
年収5十億の幸せも、年収5百億と比べた瞬間に色褪せ、
年収5百億の幸せも、年収5千億と比べた瞬間に色褪せ、
年収5千億の幸せも、年収5兆と比べた瞬間に色褪せ――
キリが無い
なぜ、せっかく幸せだったことが色褪せてしまったのだろう
それは「比べたから」だ
全ての不幸の原因は「比較」にある
私たちは、みんな魂の向上のため、最適の環境にいるのだから、そこで楽しく暮らせばいいのだ
自分が前にやったことが(それ、今世で心当たり無かったら前世でやったことですよ)返ってきたら、返ってきたことでもうそれ終わってますから、そのことに感謝して、いつも意識的に楽しく暮らす
他人は他人の課題やってるんだから、
自分は自分の課題やればいいんですよね
比較なんてしません
魚は魚の課題、泳ぐことを一生懸命やればいいし
「どうして自分は飛べないんだろう」
と鳥と自分を比較する必要無いのだ
鳥は鳥の課題、飛ぶことを一生懸命やればいい
たまには鳥だけど、泳ぐことが課題のペンギンみたいなのもいるが、それならそれで
「どうして自分は飛べないんだろう」
と他の鳥と比較することなく、自分の課題をやる
とにかく自身が生まれた環境で一生懸命、しかも楽しくやればいい
悲壮感もってやると、悲壮感が後に自分に返ってきちゃうから、楽しくやるのだ