会話の心・技・体

武道、スポーツ、囲碁・将棋やかるたまで、あらゆる競技に心・技・体の3つの要素が大事であるように、会話においてもまた心・技・体が大事です。では、会話における心・技・体とは一体どんなものなのでしょう。このブログではそれを9つの原則にまとめて書いていきます。

「『参りました』は『参りました』」 意味が分かりませんよね(^^;)? 1つ目の「参りました」は、神社に「お参りに参りました」の「参りました」です 2つ目の「参りました」は、負けを認める意味の言葉「参った!」の「参りました」です 神社にしろ教会にしろ、神仏に祈りに行くのは、願いを叶えてもらうためでありません それは 「感謝を捧げるために」 行くのです 「願いを言う」 というのは 「不平を言う」 というのと同じ事です 分かりやすく言うと 「私は、今こういう事が不足です。不満です。だから、神仏のあなたが

「『参りました』は『参りました』」

意味が分かりませんよね(^^;)?
1つ目の「参りました」は、神社に「お参りに参りました」の「参りました」です
2つ目の「参りました」は、負けを認める意味の言葉「参った!」の「参りました」です

神社にしろ教会にしろ、神仏に祈りに行くのは、願いを叶えてもらうためでありません
それは
「感謝を捧げるために」
行くのです
「願いを言う」
というのは
「不平を言う」
というのと同じ事です

分かりやすく言うと
「私は、今こういう事が不足です。不満です。だから、神仏のあなたがそれ
を補ってください」
このように
「文句を言う」
のが
「お願いごと」
なんです

だから、神仏にお願い事なんか言っていたら、叶わないのは当たり前
世の中には、似た者同士を引き寄せる「引き寄せの法則」が常時万物に作用しているのです
「願い事」つまり「文句」を言っていたら、あなたにとってはあなたがまた「文句」を言いたくなるような事象を引き寄せてしまうのですね

だから、神社や教会に行ったら、感謝を捧げるべきなんです
食べられることに、歩けることに、目が見えることに、息を吸えることに
そうすれば、また感謝したくなるような事象が引き寄せられて、あなたにもたらされることでしょう

また、神社や教会に行ったら、「参りました」と思うことです
これは、
「ここへ来ましたよ」
という意味と、
「私の力でどうにかできるようなものではない事は分かっております。これからどうなっていくかはお任せします」
という「参ったする」という意味があるのです

神社や教会へ行ったら、感謝し、「参ったします」と思い、あとは日常を楽しく過ごしていきましょう